イタリアの老舗スポーツカーメーカー『アルファロメオ』。 日本でも、数年前からよくCMが放送されているため、みなさんも一度くらいは名前を聞い たことがあるのではないでしょうか?
ですが、ベンツやBMW、Audiと違い、アルファロメオのことをよく知っている人は少ない です。
そこで、この記事ではスポーツカーメーカーとして一世風靡し、世界に名を轟かせ続けてい るアルファロメオの歴史を紐解いていきたいと思います。
目次
◆アルファロメオの歴史
まず、アルファロメオを紹介する上で無視することができない、”アルファロメオの歩み”を ご紹介していきます。
現在では、高品質で安定感のある物作りをしている印象が強く、日本人だけでなく世界中から歓迎されているアルファロメオですが、現代に至るまでにどのような物語があったので しょうか?
アルファロメオの誕生
アルファロメオが誕生したのは1910年のイタリア・ミラノです。
当時はアルファロメオという社名ではなく、ロンバルダ自動車製造株式会社(Anonima Lombarda Fabbrica Automobil:A.L.F.A.)としての創業でした。
創業1年目の記念すべき初の生産車は、現代に語り継がれている『24HP』で、1年目にしてレースに参加。
今も昔も、自動車メーカーが自社のスペックを披露すべくレース参加することは変わっておらず、A.L.F.A.も例に漏れず参加を始めました。
24HP
James Temple [CC BY 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で
その後も『30HP』『40-60HP』など優秀なスポーツカーを生産し、スポーツカーメー カーとしての地位を築いていきます。
40-60HP
しかし、創業から8年目の1918年にイタリア出身の実業家ニコラ・ロメオ有するニコラ・ロ メオ技師有限会社と吸収合併し、社名をニコラ・ロメオ技師株式会社と変化すると同時に、 『A.L.F.A.』の文字が消えてしまいました。
吸収合併から2年後、1920年に生産した『Alfa Romeo 20/30 E.Sport 』のエンブレムに、旧 社名である『A.L.F.A.』と新社名のロゴ『ROMEO』を併せた『ALFA-ROMEO』の文字が刻まれることになり、復活を遂げます。
スポーツカーメーカーとしての産声
やり手の実業家であるニコラ・ロメオは、レースでの結果が自動車メーカーにとっての生命線になる事を理解しており、すぐさま技術スタッフに高性能レーシングカーの生産を指示。
そして誕生したのが、『RLシリーズ』というアルファロメオの初期を華やかに飾る傑作で した。
このRLシリーズは競争力が高く、様々なレースで優秀な結果を残し、瞬く間にアルファロメオの名前が世に響き渡ることになります。 この勢いをそのままに、アルファロメオは『Alfa Romeo P1』というスポーツカーで、モー タースポーツ界の最高峰である”グランプリレース”に参加を決めました。
しかし、前年度優勝のFIAT社の劣化コピーと揶揄され、前評判通りレースで活躍することができないだけでなく、エースドライバーを事故で失うことに…。
それをきっかけに、1923年に一度はレースから撤退したアルファロメオでしたが、当時、 最強レースチームと名高かったFIATの技術者ヴィットリオ・ヤーノ を、FIAT内部のゴタゴ タに乗じ獲得。
この元FIAT技術者の獲得を機に、アルファロメオはレース以外のシーンで独自のブランド を築き上げます。
独自路線で確固たるブランドを築く
元FIAT技術者であるヤーノの活躍は目覚ましく、グランプリマシンの傑作と名高い『P2』 『P3』を始め、レーシングスポーツカー『8C』を設計。 それだけでなく、高級実用車『6C』の設計も手がけ、アルファロメオには欠かせない技術 者としてアルファロメオを牽引しました。
高級実用車 6C
前述の高級実用車の設計過程で、市販車にもレーシングカーと同様の技術を使ったエンジンの搭載を始め、このスタイルがアルファロメオの伝統として根付き始めます。
アルファロメオの台頭・活躍には、アメリカで自動車王の名を持つヘンリー・ フォードですら、『アルファロメオが通る度に脱帽する』との発言を残しているんです。
フォードはアメリカで初めての自家用車を普及させるキッカケとなった、”ライン生産方式” を生み出しており、アルファロメオと比べると安価な自動車を取り扱っていました。
そのため、アルファロメオへの素直な称賛の内側に、フォードとは正反対と言える少数生産 かつ超高価格での販売に対する皮肉が込められていたとされています。
国営化と軍需産業
一時は、栄華を極めつつあったアルファロメオですが、社長ニコラ・ロメオの事業失敗の憂 き目を見ることになり、自動車部門と航空エンジン部門が『S.A.アルファロメオ』として独 立。
そのS.A.アルファロメオは経営難とイタリア政府からの政治的圧力に屈し、イタリア産業復興公社の参加に入ることとなり、事実上の国営化となりました。
国営化される前から、もともとの高い技術力を買われていたアルファロメオは、第二次世界大戦でのイタリア軍を支えるべく、軍需産業として航空機のエンジン開発にも携わっていま す。
しかし、1943年のミラノ空襲により、本社工場は焼け野原となり、戦後は新たな改革の時期を迎えることに。
戦後は量産メーカーへ転身
戦時中の空襲で本社工場が焼け野原と化したアルファロメオ。
戦後は経営陣を一新し、自動車メーカーとしてのスタンスを180度換え、大衆車を開発する方向性へ転換しました。
新経営陣と技術者が協力し、スポーツカーの技術を搭載した戦前からある高級車『6Cシ リーズ』をベースに『 6C2500』を開発。
naeem mayet [CC BY 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で
この『6C2500』はヴィラ・デステのコンクール・デレガンスで優勝を果たし、”世界一 優美な車”として称賛を浴びました。
その後も、以前までの超高級路線を捨て、より利益を求めるべく大衆自動車メーカーとしての歩みを進めます。
しかし、大衆車を開発する中でも、レースで培ってきたエンジンのノウハウなどを惜しみなく投入し、民衆からの支持を得ることになりました。
現代まで続く名車の誕生
方向転換を機に大衆車を開発する中で、現代に続く名車『ジュリエッタ』シリーズを 1954年に開発。 このジュリエッタは排気量1,300ccと小型車ながらも、160km/hの最高時速を誇り、当時としては異例とも言える性能の高さを見せつけました。
ジュリエッタ
性能の高さとコンパクトで使い勝手の良さから、ファミリーカーとしても評価され、 ジュリエッタの名前は瞬く間に広がりました。
日本国内では2012年より147の後継モデルとして『ジュリエッタ』の名が復活していますね。
現行型ジュリエッタ
その後、1962年に本社をミラノから移転され、現在のアルファロメオのイメージを決定 づけたと言っても過言ではない『ジュリア』シリーズがデビュー。
ジュリアもジュリエッタ同様、レースで培った技術を惜しげも無く投入し、当時として は珍しい『5速トランスミッション』『4輪ディスクブレーキ』などエンジン以外の先進技術も注目の的となりました。
ジュリア
こちらもジュリエッタ同様、日本国内では2017年より159の後継モデルとして『ジュリア』の名が復活していますね。
日本車の品質に触れたアルファロメオ
あまり知られていませんが、アルファロメオは日本車メーカーと提携していた時期があります。
それは1984年のこと。
自動車メーカーとして浮き沈みの激しい時期を送っていたアルファロメオは、起死回生の一 手として日産自動車に白羽の矢を立てました。
日産自動車の『パルサー』をベースとした共同開発車『アルナ』を発表。自動車としてのス ペックはそこそこで、一定以上の販売台数を記録しましたが、見た目を酷評され起死回生と はなりませんでした。
しかし、日産自動車との提携をすることで、日本メーカーの持つレベルの高い生産システムと品質管理を手に入れることに成功。
現代に続く品質の高さは日本譲りのものと言っても過言ではないようです。
フィアット傘下で開花したアルファロメオのDNA
ここまでいろいろと紆余曲折してきたアルファロメオですが、また転換期を迎えます。
1986年に国有企業からフィアットに売却され、フィアット傘下に入る事に。
しかしこれが功を奏し、フィアット買収前から進んでいたプロジェクトから生まれた『164 』
買収後のプロジェクトから生まれドイツツーリングカー選手権やイギリスツーリング カー選手権で名を馳せた『155』
当時としては独特のフォルムである”3ドアハッチバック” や”5ドアハッチバックセダン”を導入した『145』『146』などが新時代のアルファロメオを 牽引。
146
これらのモデルは、以前までの”スペック重視型のアルファロメオ”のイメージにプラスし て、『安価で高品質』『高い信頼性』という市場で戦い抜くための必須イメージを構築しま した。
アルファロメオの快進撃はこれだけで収まらず、1997年にデビューした『156』は伝統的な スタイルに加え、圧倒的なスペックを誇り、アルファロメオとしては初となる1998年度の ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーをもたらす結果に。
さらに、前述の『145/146』の後継車である『147』も2001年度のカー・オブ・ザ・イヤー を獲得。
今までのアルファロメオの浮き沈みが嘘かのように、市場を席巻しました。
現代に続くアルファロメオの系譜
近年では、マツダと共同開発で『ロードスター』をベースとしたスポーツカーの開発を発表 するなど、アルファロメオの原点である『スポーツカー』路線を取り戻しつつあります。
その事を象徴するように、2019年度からF1の世界に復帰を発表。
Shelby Asistio from Los Angeles, United States, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
スポンサーとしてF1と関わっていたアルファロメオですが、2019年度は『アルファロメ オ・レーシング』として33年ぶりにF1の表舞台に立つことが決まりました。
そんなニュースを聞きつけたファンや関係者は、F1世界選手権の初代王者に輝いているア ルファロメオの帰還に期待感を抱いています。
◆アルファロメオのエンブレムに込められた想い
伝統と格式のあるアルファロメオの歴史を紹介してきましたが、アルファロメオのエンブレ ムとシンボルマーク『クアドリ・フォリオ』はご存じでしょうか?
歴史と一緒に、アルファロメオの物作りに対する想いが現れている部分を知ることで、アルファロメオを好きになること間違いなしです。
エンブレム
アルファロメオのエンブレムは、左半分が赤十字で、右半分が人を飲み込んでいる大蛇の マークですね。
Pablo García Roza, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
赤十字は、十字軍遠征時に聖地エルサレムの地に初めて十字架を立てた人がローマ出身だっ た事に由来し、ローマ市の紋章と同じ物を配置しています。
人を飲み込んでいる大蛇は、カトリック系の最高位であるローマ教皇を排出したヴィスコン ティ家の先祖が、人食い大蛇を退治したことに由来していると言われています。
それぞれ、イタリア・ローマに由来する物で、このエンブレムの基本形は100年以上変わら ず現代に受け継がれているんです。
そんなエンブレムには、時代を切り開きつつも伝統を重んじるアルファロメオの姿勢が現れている気がしてなりません。
先ほどご紹介したアルファロメオの歴史の中にも、幾度となく既成概念という殻を破り、技術革新してきた事実があります。
時代の荒波に晒されてきたアルファロメオですが、今後どんな革新を世界にもたらしてくれるのか楽しみでなりませんね。
シンボルマーク『クアドリ・フォリオ』
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、アルファロメオの自動車にはエンブレムとは別 に『四つ葉のクローバー』のシンボルマークが刻まれています。
traumautoarchiv.de [CC BY-SA 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で
この四つ葉のクローバー、正式名称を『クアドリ・フォリオ』と言います。
実はこのクアドリ・フォリオ、アルファロメオの最初期から使用されていた訳ではないんで す。
クアドリ・フォリオが生まれたのは1923年。
アルファロメオのレーシングドライバーであるウーゴ・シヴィッチが国際的レースとしては最古の『タルガ・フローリオ』に向けて、幸運の象徴である四つ葉のクローバーをマシンに 描いたことがキッカケです。
見事、四つ葉のクローバーが描かれたマシンに乗ったウーゴ・シヴィッチは総合優勝を果たし、それ以降、クアドリ・フォリオはアルファロメオを象徴するシンボルになっていきま す。
しかし、総合優勝を果たしたウーゴ・シヴィッチは数か月後に行われたテストレースでコースアウ トし落命してしまいました。
その時、ウーゴ・シヴィッチが搭乗していたマシン『Alfa Romeo P1』に、クアドリ・フォ リオが描かれていなかった事から、それ以降のマシンには護符の意味を込めてクアドリ・ フォリオが描かれるようになった、という歴史があります。
また、それまで正方形だった白いベース部分は、亡きシヴォッチ一人が欠けたことを示す三角形とされました。
Falcon® Photography from France [CC BY-SA 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で
現在までそのクアドリ・フォリオの伝統は守られ続け、今やクアドリフォリオの世界観は大きく発展し、
アルファ ロメオ特有のドライブの楽しみ、パフォーマンスを物語るシンボルともなりました。
アルファロメオ自身が良い自動車を 生み出し、事故を減らすのはもちろんのこと、「神頼みでも良いのでアルファロメオに乗っ ている人の命を守って欲しい」という想いが込められています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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