ジャガー車のロゴやエンブレム、歴史ってどんなの?

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イギリスの名門車メーカー「ジャガー」の設立から現在に至るまでの歴史とは?

また、どんなロゴやエンブレムをしているのか?

高級車というのは、やはりいつの時代も憧れてしまうものですよね。

高級車と一口に言ってもいろいろなものがありますが、今回はその中でも「ジャガー」に注目していきたいと思います。

車メーカーにはひとつひとつ歴史があるものですが、ジャガーの歴史というのは思っている以上に興味深いものです。

では、そんなジャガーの歴史について触れていきたいと思います。

 

目次

・「スワロー・サイドカー・カンパニー」の設立

 

ジャガーの創設者は、ご存知のようにウィリアム・ライオンズですよね。

ただ、いきなり「ジャガー」として設立したわけではありません。

ライオンズは、友人であるウィリアム・ウォームズレイにとともに「スワロー・サイドカー・カンパニー」を1922年に設立しました。

名前は違うものの、これがジャガーの原点です。

社名の通り、サイドカーの製造で事業を拡大していきました。

そのうち、自動車のボディ修理も手がけるようになるのですが、これがきっかけで自動車のボディ製造(コーチワーク)をもおこなうようになります。

こういった流れの中で自動車全体を一から造るのではなく、コーチビルダーとしてボディを手がけるというところから自動車メーカーへの転身を目指すことになったのです。

 

・スワローの大ヒット

1927年の当時のイギリスでは、オースチン・セブンがベストセラー大衆車となっていました。

 

このシャシに、ライオンズ自身がデザインした、高級感のあるアルミ製ボディを換装し、「オースチン・セブン・スワロー」というモデルを発表しました。

画像手前がオースチン・セブン・スワローバージョンです。Austin Cars at Bourton On The Water motor museum - Flickr - mick - LumixMick from Northamptonshire, England [CC BY 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で
今見てもクラシカルで、ワクワクするようなデザインですよね。

ライオンズは、サイドカー製造の経験から「美しい物は売れる」という考えを持っていました。

もっと言うと、元の車両よりお高くなってしまったとしてもそのデザインが美しければそれを求める顧客は必ず存在すると考えていたのです。

その読みの通り、オースチン・セブン・スワローはヒット車種になりました。

スワローの大ヒットもあり、1928年には社名を「スワロー・コーチビルディング・カンパニー」へと変更しました。

それと同時にイングランドのコヴェントリーへ移転し、複数のメーカーからベースとなる車種を調達して新たなボディを架装し、より豪華に仕立て直すようになりました。

・SSカーズへの社名変更

1933年には、専用設計のシャシーを持つ「SS1」と「SS2」を発売し、これもまた大ヒットとなりました。

SS1
SS One fhc 1933 (15769140984)Thomas’s Pics [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

1928年の社名変更からわずか数年で今度は、「SSカーズ」という社名へと変更しました。

設立から短い期間で、かなり社名の変更がおこなわれているのも面白いですね。

ちなみに、「SSって何?」という方もいるかと思います。

 

実はこの「SS」の由来に関してはスワロー・スペシャルだったり様々な諸説あるもののハッキリしていないんです。

こういうところもミステリアスで興味をそそられますよね。

 

 

この頃のモデルは、よりスタイリッシュに仕上がっています。

スワローが可愛らしい少女であれば、SSは成長し大人の色香をまとうようになった女性といったところでしょうか。

 

不況下でも大ヒットとなったのですが、エンジンは実用車向けスペックだった事もあり、一部の自動車専門家やカーマニア層からは「見かけ倒しのまがい物」と言われるようなこともありました。

 

 

もちろん、ここで黙っているようなメーカーではありません。

1935年には、ボディだけでなくエンジン、シャシーを含むすべてを専用設計としたモデルを開発し、ここでようやく「ジャガー」という車名が登場することになります。

 

新しく誕生したジャガーは優れたスタイリングと豪奢な内装はそのままに、強化されたエンジンと量産によるコストダウンを実現しました。

Jaguar3,5 SS DHC 1939

Jaguar SS-100

言ってしまえば、ロールスロイスベントレーなどの最高級メーカーに勝らずとも劣らない品質のものを良心的な価格で売り出したのです。

当時のベントレーの3分の1以下の値段だったようです。

人気にならないわけがないですよね。

高級車というとぼったくられるようなイメージを持っている方もいるかもしれませんが、ジャガーは違います。いいものを相対的に安くというのがジャガーにおける基本ポリシーのひとつなんですね。

それは今でも変わっていません。

・「ジャガー・カーズ」と「ジャガー」の誕生

社名の「SSカーズ」とブランド名の「SSジャガー」はかつての敵国であるドイツの国家社会主義ドイツ労働者党の親衛隊の略称「SS」と重なるということで、第二次世界大戦後の1945年に社名を「ジャガー・カーズ」、ブランド名を「ジャガー」へと変更しました。

1948年には戦後型スポーツカーとして「XK120」が発表されたのですが、これもまた大ヒットとなりました。

XK120
'52 Jaguar XK120 (Auto classique Hudson '13)

この時、XKの名が初めて使用されています。

2014年まで販売されていたXKも60年以上たっても同じ名が使用されているのも、ロマンを感じますね。

 

ウィリアム・ライオンズらしく流れるような美しい外観、また同程度の性能だったアストンマーティンなどより三割ほど安かったようです。

 

アメリカにも輸出されましたし、その発展型も含めて戦後の復興下にあったイギリスを大きく支えました。

これがジャガーを高級車ブランドとして位置付ける重要なモデルとなったことは言うまでもありません。

1950年代にはレーシングカー開発に乗り出し、XK120をベースに、自動車史上初めての4輪ディスクブレーキを備えたCタイプDタイプを耐久レースに投入したことでも知られていますね。

Cタイプ

 

Dタイプ
Jaguar D-Type 1954 pic1

ル・マン24時間レースではフェラーリやポルシェなどのライバルを圧倒し3連覇を果たしたこともあり、モータースポーツでも活躍していきます。

その後、ジャガーはアメリカ市場でも成功し、イギリスの外貨獲得に大きく貢献します。

1956年にはその活躍を称えられ、ウィリアム・ライオンズはイギリス王室より「ナイト」の称号を授かりました。

1960年には高級車メーカーのデイムラーを買収します。

買収というと何となく嫌なイメージを抱く方もいるかもしれませんが、ジャガーが工場を拡大するためには必要なことだったのです。

 

・初めての低迷期

ここまでのジャガーの歴史というのは、順風満帆すぎるくらいでした。

もちろん、戦争の中で向上が被害を受けるようなこともありましたが、やることなすことがすべて成功していました。

ただ、ここに来て初めてジャガーは低迷期を迎えることになります。

 

低迷期のきっかけとなったのが、1966年7月におこなったイギリス最大の民族資本系自動車会社グループである「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」(BMC)との合併です。

この合併で「ブリティッシュ・モーター・ホールディングス」(BMH)を結成したのですが、1968年にはBMH主要モデルの販売不振から、BMH自体が経営不振に陥ってしまいました。

イギリス政府は、ここでもうひとつの民族資本系グループである「レイランド・モーター・カンパニー」との統合を決めて、「ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)」を結成します。

 

 

ただ、作業員のレベル自体がBLMCの平均に下げられ、ちょうど労働運動が激化したこともあり、高品質であるはずのジャガーにおいて品質が低下するという事態に発展してしまったのです。

当然、販売台数も大幅に減少しました。古参社員の引退が相次ぎ、創設者であるライオンズも1972年に経営の座から退きました。

 

 

追い打ちをかけるかのように、オイルショックも起こりました。

オイルショックでは世界的に自動車の販売が激減しましたが、BMLCは特に大きな影響を受け、多大な借入金を抱えることとなります。

BMLCは1975年8月に国営化されブリティッシュ・レイランド(BL)となりました。

この年XJSを発売していますが、低品質にデザイン性が受け入れられず売り上げは低迷。

XJS
1978 Jaguar XJ-S (22081468846)Jeremy from Sydney, Australia [CC BY 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で
どれだけもがいても抜け出すことのできない低迷期だったのです。

・低迷期からの復活

冬の時代とも言える低迷期なのですが、いつかは終わりが来るものです。

1979年にはジャガーの生産台数は5年前の半分以下にまで落ち込んでいましたが、この年にジャガーは新たな経営トップとして社外からジョン・イーガンを招きました。

これがジャガーにとっての大きな転機となります。

イーガンは、ジャガーに大きな変革をもたらします。

 

時代遅れの生産体制や経営の改革、作業員の意欲向上、日本企業並みの厳格な品質管理、販売手法の刷新、顧客からのフィードバック反映、経営陣のリストラ……これらによってジャガーの品質は改善し、生産台数も急激に回復していったのです。

 

その後の1984年、マーガレット・サッチャー首相による民営化政策によって、ジャガーは再び民営化されることとなります。

1986年には、完全新設計のXJ40がデビュー。

こちらの車種はウィリアム・ライオンズが承認した最後のジャガーになりました。

クラシカルで味わいがあります。

年代によっては、これこそジャガーだ!!と言われる方も多いはず。

XJ40系
Jaguar-XJ-Mk2
生まれ変わったジャガーは瞬く間に人気車種の仲間入りを果たします。

 

1980 年台は本当に慌ただしく、1985年に創設者であるウィリアム・ライオンズの死去、

1986年にイーガンが王室より「ナイト」の称号を授かり、

同年には、XJR-8世界耐久選手権(WEC)でシリーズチャンピオンを獲得、

XJR-8
JaguarXJR11Brian Snelson [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

 

1988年には31年ぶりにル・マン24時間レースでXJR-9LMで優勝、

XJR-9LM
Jaguar XJ - Night and Day with Andy Wallace (23461018016)Jaguar MENA [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

1989年にはフォードグループジャガーを買収しフォードの傘下に入ることとなりました。

・フォード傘下時代

 

1998年 フォード傘下に入ってから、ジャガーはXJシリーズのワンサイズ下、ミドルクラスにあたるEセグメントセダン『Sタイプ』を販売。

Sタイプ'00-'02 Jaguar S-Type

過去の人気車種『Sタイプ』のリメイク車でフォード傘下初の新車とのことで注目を浴びていました。

 

…が、世間の評価は厳しく、フォードベースの開発、レトロすぎる外観、はぼアメ車というわけで『中身フォードじゃん!!

と酷評され、発売開始からわずか3年という異例の短さでATサスペンション外観内装エンジンスペックなどの大幅マイナーチェンジでなんとか評価を取り戻し、年間4万台から10万台販売する会社にまで成長しました。

マイナーチェンジ後2006 Jaguar S-Type 3.0--DC

2007年に販売は終了して、現在はSタイプの後継車として、XFが販売されていますよね。

 

また、2001年には、3シリーズやCクラスなどの競合ひしめく『Dセグメント』に、ジャガー初のスモールサイズセダン『Xタイプ』を販売。

Xタイプ2006-2007 Jaguar X-Type (X400) LE sedan 01

私は『某ジブリ作品のネコバスの車バージョンかな?』っと思った記憶があります。

このXタイプ、不名誉にも米国でのセダン、ステーションワゴン部門の年間販売数最下位を記録。

2008年式を最後に幕引きとなってしまいます。

 

現在はXタイプの後継車として、XEが販売されていますよね。

 

Xタイプの売上不振が決定打となり、2000年代後半には、フォードグループは深刻な経営不振に陥ります。

その結果、2008年3月26日にジャガーランドローバーと共にインドのタタ・モーターズに売却されました。

そのため、現在ではインド資本となっています。

 

・例外的に生き残ったジャガー

 

イギリスの自動車メーカーというのは、その多くが淘汰されています。「オースティン」や「モーリス」、「ローバー」などの消滅してしまったイギリスの自動車ブランドが多い中でも、ジャガーは高級車・スポーツカーブランドとして存続しており、例外的に生き残っているのです。

ただ、ジャガーの根底にあるものを考えれば、生き残るべくして生き残ったと言えるのではないでしょうか?

また、2020年以降の販売車両はすべてEV、ハイブリッドなどにし、ガソリン車からの完全脱却を宣言しており、今後がますます楽しみですね!!

イギリス王室御用達は伊達じゃありません。

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