シトロエンのすごい歴史!

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フランスの自動車メーカー「シトロエン」をご存じですか?

フランスでは代表的な車のひとつで、大統領就任の際にはパレードにも使われています。

その歴史は長く、自動車の歴史には欠かすことのできない特徴的な車を世に送り出してきました。

独創的で優れた性能をもつシトロエンの車は、コアなファンの間では「シトロ炎」という愛称でも親しまれており、多くの人々に今でも高く評価され愛されています。

今回はそのシトロエンの歴史についてご紹介します。

目次

シトロエンの誕生

シトロエンは、第一次世界大戦終結後1919年に、ダブルへリカと呼ばれる歯車の製造と砲弾の製造で稼いでいたアンドレ・シトロエンが自動車の大衆化を目指し創立した企業です。

アンドレ・シトロエン
AndreCitroen

 

当時自動車は高価で、世間からは「富裕層が持つ贅沢なおもちゃ」というイメージを強く持たれていました。

 

そこで、アンドレは「自動車はあくまで一般大衆のための便利な道具だ。車を持つことで多くの人たちの生活が豊かになる」という考えから、フォードがアメリカでライン生産によるシステムを構築させ大衆化に成功したことに着目し、ヨーロッパではじめて自動車の大量生産システムを導入させました。

 

このおかげで、低価格で高品質な自動車の供給を実現させました。

 

最初の工場は、軍需工場を転用させたパリのセーヌ川・シャヴェル河岸の工場でした。いまその場所に工場はなくなり、「アンドレ・シトロエン公園」という名前になっています。

ンドレ・シトロエン公園
Ballon de Paris @ Parc André Citroën @ Paris (33145680103)Guilhem Vellut from Paris, France [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

シトロエンのエンブレム

シトロエンのエンブレムはひらがなの「へ」のようなくさび形を2つ重ねた形になっていて「ドゥブル・シュヴロン」または「ダブルヘリカルギア」と呼ばれています。

これは、アンドレ・シトロエンが経営者としてスタートするきっかけになった「シェブロン・ギア」という歯車の歯形をモチーフにしていると言われています。

シトロエンの成長

シトロエンは、流れ作業方式を採用し、小型車や中型車の大量生産で成功し大成長を遂げましたが、アンドレのワンマン経営からくる過剰投資がたたり、1934年に経営危機に陥りました。

この時にタイヤのメーカーであるミシュランの系列店となり、シトロエンの販売している車は工場出荷の際のタイヤにミシュラン製のタイヤを指定し、装着しています。

第二次世界大戦のあとも先鋭的な自動車の開発で世界的に注目され続ける存在であり続けました。

60年代にはイタリアのフィアットマセラティと提携しますが、約10年後に再び経営が困難な状態になり、1976年から同じフランスの競合会社だったプジョーに、PSA・プジョーシトロエンという企業グループの傘下になっています。

 

ここから、プラットフォームやエンジンをプジョーの車と同じにするようになりました。

現在でもプジョーの車とのコンポーネンツ共用の方針は変わってなく、初期のような『ザ・シトロエン!!』な個性は抑えられているものの、プジョーとは異なった個性をもつ自動車のブランドとして確立されています。
Citroën B2 Sport 01

シトロエンの先進技術

シトロエンは新しい技術をいち早く取り入れることで知られ、「10年進んだ車を20年間作り続ける」と言われていました。

創業時、ジュール・サロモンの設計で1919年に発売されたタイプAの車は、最初に生産された自動車であると同時にヨーロッパで初めて大量生産方式によって作られた自動車でした。

タイプA
Citroen Type A (38769705285)

また、1925年に発売されたB12の車はヨーロッパで初めてのオール鋼製ボディの自動車になりました。

B12
Citroen offen gruen 1

今では当然のように採用されている4輪ブレーキもこの時に取り入れられたと言われています。

 

1932年には、モノピースという、溶接された一体型ボディ構造の8/10/15が発表されました。

1930年代前半まで、このようにアメリカで実用化されていた技術をいち早くヨーロッパに取り入れるという動きが顕著な自動車メーカーでした。

 

1933年に入社した技術者、アンドレ・ルフェーブルにより強烈な独自性を発揮するようになりました。

彼が主導して設計した7CV(通称・トラクシオン・アバン)はシトロエンの一大転機となりました。

7CV
Citroen Traction 7A 1934 03

前輪駆動や骨組みで全体の強度を持たせる代わりに外側のパネルに最低限の補強をして無駄がなく軽量化されたモノコック・ボディ、棒を使いねじれの原理を応用したスプリングであるトーションバー・スプリングなどをいち早く採用し、1934年に発表しました。

 

すると7CVは大きな反響を呼ぶことになり、シトロエン社の「先進性」を自動車市場に印象付ける最初の車となりました。

 

しかし、この車を短期間で開発し、新たな工場を建設したことにより会社の経営破綻とアンドレ・シトロエンの引退を招く事態となりました。

 

1955年には金属スプリングの代わりに圧縮された空気の弾力性を利用した気体バネと、高圧オイルを使用した独創的なハイドロニューマチック・サスペンションを開発し装備したDSを発表しました。

車高調整や振動によるエネルギーを内部構造の抵抗により弱らせることで自動車にかかるエネルギーを安定させるダンパーに使用されたオイルは、サスペンションだけでなく、パワーステアリングやブレーキ、ペダルの無いクラッチコントロールにも使われました。

 

 

このようにいち早く先進技術を取り入れ独創的に進められてきた開発は「10年進んだ車」と表され、その後「20年作り続けれられる」こととなりました。

他にも、「フランスの民具」などと言われ40年以上生産され続けた2CVなど、ユニークで独創性に溢れた自動車が多数開発され、人々に愛されてきました。

2CV
Citroën 2CV front

シトロエンの広告戦略

シトロエンの創業者であるアンドレ・シトロエンはギャンブル好きの派手好きで、大胆で個性的な広告戦略にも力を入れていました。

1925年から1936年までの11年間、エッフェル塔は社名である「シトロエン」の文字で飾られていました。この電飾された文字は40km離れたところからでも見ることができ、当時のエッフェル塔の代名詞だったそうです。

Tour Eiffel Citroen

また、飛行機を使いパリの上空に「CITROËN」と描いたこともありました。自動車だけでなく、広告事業にも個性があふれていました。

Citroën C4F et C6F, réclameCjp24 [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

非常にハイセンスな広告は、ルーブル美術館主催のアート展が開かれるほど、芸術性が高かったのです。

Affiche 2CVRONFAUT Bernard [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

新しい自動車を発表すると、同時期に将来の顧客になる子供たちへのアピールのため、生産車の精巧なミニチュアカーを作り販売をしていました。

 

この時期のシトロエン社は「赤ちゃんが初めて覚える言葉は、パパ、ママ、そしてシトロエンだ!」と豪語するほど威勢が強かったようです。

シトロエンの名車を振り返る

・10HPタイプA(1919年)

Mondial de l'Automobile 2012, Paris - France (8666460406)Mic from Reading – Berkshire, United Kingdom [CC BY 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

フランスで初めて量産された自動車です。

時代に合わせたラグジュアリーなファブリック、背もたれにはやわらかいクッション材を使い、ドアフレームには高級家具の素材が使われました。

車内で最大限心地よく過ごせるよう、リムーバブルのフロントシートは脚幅に合わせて調整可能で、背もたれも倒して使うことができました。

この車は大ヒットを生み出し、シトロエンの伝説の始まりとなりました。

・トラクシオン7(1934年)

Citroen Traction 7A 1934 03

この自動車の機能全てが同じ時代のほかの自動車メーカーから憧れられるほど優れていました。

世界で初めてドアステップを廃止し、車に乗るときは「登る」のではなくキャビンの中に「降りる」ように設計されています。

大量生産で前輪駆動トランスミッションを採用しました。

この車は「シトロエン7」ではなく「トラクシオン」というニックネームで親しまれ大人気となりました。

この成功から派生したモデルがどんどん発表され、様々なシルエットと機能が提供されることとなりました。

トラクシオン7の神秘的なモデルはシトロエン車の中で特別な自動車の一つとなりました。

・2CV(1948年)

Citroen 2CV Charleston (30574019517)

シトロエンがミシュランの系列になったとき、一番最初のアイディアが「田んぼ道を大衆車が走る」というものでした。

コンセプトは「卵の入ったバスケットを卵をひとつも割らずに野原を横切ることのできる傘を持つ四輪の車」というものでした。

1936年から設計・開発を進め、アンドレ・ルフェーブルの作った試作品が1939年に発表される予定でしたが戦争のため中止となりました。

国が占領されている間も作業が続けられ、ついに超小型の車が完成し1948年のパリサロンで2CVの名が発表され一大センセーションを巻き起こすこととなりました。

・DS(1955年)

DS Citroën 001

初めて発表されたとき、UFOのような形をしているため、多くの注目を浴びることとなりました。

デザイナーのフラミニオ・ベルトーニによってイメージされたこの未来的なデザインは他のメーカーのどの車よりも目立っており「空飛ぶ円盤」というニックネームで親しまれることとなりました。

 

ハイドロニューマチック・サスペンションとパワーステアリングを組み合わせることにより、ハンドリング性能を向上させ3つの車輪でも走行可能にしました。

 

 

このため過去に大統領を乗せた車が狙撃され、いくつかのタイヤがパンクしてしまっても大統領を守ることができました。

成功を収めたDSからは様々な派生モデルが誕生し、ワゴンタイプの「ブレーク」は救急車として活躍し、「プレスティージュ」は実業家や国によって使用されました。

アンリ・シャプロンによりデザインされたコンバーチブルタイプには大統領のためのDSのモデルがあります。

モータースポーツ

UrmoAava-2008-RallyeD

シトロエンのレース活動はラリー系を中心として参加するのが伝統で、参戦した全ての有名なラリー選手権でチャンピオンを獲得した事があります。

同系列グループのプジョーもそうですが、ラリー系はフランス勢がとにかく強い、しかし市販車は壊れやすいイメージが定着しているのが何とも言えないもどかしさがありますね。

・1950年代からDS、2CVなどでラリーに参加し、数々のレースで勝っています。

 

・1990年代にはあの有名なパリ・ダカール・ラリーに参戦し、1991年、1994年、1995年、1996年に総合優勝を達成し、プジョーとともに三菱自動車にとって最大のライバルとなりました。

 

・1998年には二輪駆動車でありながら、日本も含む、世界の強豪ラリーカー勢に打ち勝ち、2度もの総合優勝を勝ち取る快挙をあげています。

 

・世界最高峰のラリーレースのWRCで2004年から2012年までドライバーズタイトル9連覇の偉業を成し遂げています。

・『マニュファクチャラータイトル』という車メーカー直営のレースチームカテゴリでも2006と2007年を除いた全てでタイトルを獲得しています。

現在も参戦し続けており、シトロエンの歴代世界ラリー選手権での勝利数は全メーカー中トップとなる101回となっています。

Dani Sordo Rally Sweden (shakedown) 2010 001Peter Lidman [CC BY 3.0], via Wikimedia Commons

日本国内ではラリー人気がいまひとつなのが残念でなりません!!

8 Thierry Neuville and Nicolas Gilsoul, BEL BEL, Citroen Junior World Rally Team Citroen DS3 WRCsmerikal [CC BY-SA 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

まとめ

いかがでしたか?
いくつもの困難を乗り越え開発された、独創的な技術と個性あふれるビジュアルを兼ね備えたシトロエン社の自動車に興味が出てきたのではないでしょうか?

 

派手好きのアンドレ・シトロエンが提案したエッフェル塔の広告や、空中に社名を描く宣伝方法、おしゃれなポスターまで、自動車の技術だけでなく広告の戦略まで個性に溢れていてとても魅力的な自動車メーカーですよね。

 

今回はフランスを代表する自動車メーカー、「シトロエン」の歴史についてご紹介しました。
街を走る車のなかでシトロエンのエンブレムがついたものを見つけたら、そのデザインを観察してみるのも面白いかもしれませんね!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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