ドイツの老舗カーメーカー『メルセデス・ベンツ』
外車の王様とも言われ、日本でも圧倒的な知名度を誇るメーカーです。
今回はメルセデス・ベンツの誕生の歴史から現在に至るまで、そしてベンツのナショナルカラーである『シルバー・アロー』
フェラーリの赤やプジョーの青などそれぞれのカラーがありますが、ベンツのシルバーも面白い諸説があります。
そこで、この記事では車界の第一線で活躍し続ける『メルセデス・ベンツ』の歴史を紐解いていきたいと思います。
目次
◆メルセデス・ベンツの歴史
David Adam Kess / CC BY-SA
陸、海、空を示す『スリーポインテッドスター』このエンブレムの奥にはどんな物語あるのでしょうか?
メルセデス ベンツは100年以上の歴史を誇る、ドイツの自動車メーカーです。
ドイツでは商用車やバス、タクシーなど幅広く取り扱う総合社で、日本で言うとトヨタと似ていますが、日本に入ってくるのは高価格帯の一般乗用車が大半をしめますので、高級車なのです。
また、レーシングメーカーとしても数々の功績を残しています。
まず、メルセデス・ベンツを紹介する上で無視することができない、”メルセデス・ベンツの歩み”を ご紹介していきます。
現在では、高品質で安定感のある物作りをしている印象が強く、日本人だけでなく世界中から歓迎されているメルセデス・ベンツですが、現代に至るまでにどのような物語があったので しょうか?
メルセデス・ベンツの誕生
世界最古のメーカーの1つと言われるメルセデス・ベンツが誕生したのは1886年のこと。
創業者であるエンジン技術者カール・ベンツはガソリン自動車での特許を初めて取得しています。
当時は他にもダイムラー(後に自社の車名に支援者イェリネックの娘の名前「メルセデス」を命名)
やマイバッハ(ダイムラーと共に仕事をしてきたが、後に独立し、高級車メーカーとなる)
がエンジンの開発をしていましたが、カール・ベンツに遅れを取っていました。
ダイムラーもマイバッハもまさか数十年後に一つになるとは、誰も予想しなかったでしょう。
さて、記念すべき初の大成功した車は、もちろんこれ!!
現代に語り継がれている『ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン』です。
カール・ベンツの奥様であるベルタ・ベンツは『ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン』を世に広める為に、初めて長距離移動を達成しました。
約106 kmと当時では何頭もの馬を乗り換えなければたどり着けない驚異的な長距離だったのです。
今ではこの歴史的な長距離走破を記念して、当時の『ベルタ・ベンツ』が通った道には産業遺産の道路として公式な標識が設置されています。
また。クラシックカーによる記念パレードが2年ごとに開催されています。
今でも、ドイツの人々なら誰でも知っている伝説なのです。
ダイムラーとの合併
その後、1920年代には、ダイムラーとマイバッハによる自動車メーカー『DMG』と合併して社名が『ダイムラー・ベンツ』となり、ブランド名が『メルセデス・ベンツ』となります。
何故メルセデスの名前があるのか!?
実はDMG時代に初めてレースで活躍した車の名が『メルセデス・35hp』
強力な支援者であったオーストリアの起業家の娘さんの名前がメルセデス。
ここからメルセデスの名が使われるようになっていたのです。
この時マイバッハはすでにDMGを去り、自身のブランドで高級車を製造していました。
モータースポーツ
1930年代に入ると会社の業績も上々でもっとも貢献していたのは、当時盛んだったモータースポーツでの活躍。
メルセデス・ベンツは数々のレースを制し、同じくドイツにある4つの自動車メーカーの合併会社アウトウニオン(現アウディ)と常に上位を争っていました。
数々の伝説
伝説その1
伝説のレーシングカーと称されるW125は、600馬力超えのエンジンで、340km以上のスピードを出していました。
今から約90年前に、すでに現代のF1マシンと同等のスピードを出す時点で驚きですよね!!
この伝説のモンスターカーは1970年代にターボエンジン搭載の車が登場するまでの約40年あまり、史上最強の車だったという伝説を保ち続たのです。
伝説その2
同じく1930年代後半、イタリアでのレースであまりにも強すぎるドイツ勢を弱体化させる為に、イタリア国内ルールの1.5Lマシンでの開催を急遽実施。(当時は3Lマシンが主流)
イタリアとしては、短期間で新型マシンの製造は不可能と考えたのでしょうが、ただのいじわるですよね!
しかし!!イタリアの思惑は大きく外れメルセデス ベンツは当時の3Lマシンの1.5Lバージョンをレース開催までに製造完了し、自社以外の全車を周回遅れにして優勝したのです!!
シルバーアロー
こちらは有名な話ですが、1930年代に開催されたレースで、新型マシンのW25が規定の重量を少しだけオーバーしてしまい、軽量化するために塗装を一晩をかけて剥がし、アルミむき出しのボディーで出場したという話が有名です!
しかし、その伝説レース以前にもシルバーの車体で出場していた記録があり、すでにシルバーアローと呼ばれていたとされる説もあるのです。
真相は謎ですがメルセデス ベンツ公式サイトでも紹介されていますので、ロマンを守るためにも、これ以上の詮索はやめました!
レース界の復活・撤退
復活
1930年代末期に起こったのが第二次世界大戦。
レースどころではなくなり、軍用生産に集中します。
この戦争によりメルセデス ベンツは壊滅的な打撃を受けます。
生産施設は破壊され、終戦後にはナチスに協力した企業として多額の補償も義務付けられました。
そこから約10年の時を経て1950年代にはF1への参戦を表明しました。
当時も最先端なマシンを作り、12レース中9勝をあげるなど、戦前の時のように数々の勝利を飾りました。
W196
Triple-green / CC BY-SA
撤退
しかし、1955年に悲劇が訪れます。
それは24時間レースでの事、当時の新型マシンの300SLRがクラッシュにより観客席に飛び込み、80名以上の死者を出す大事故が起きてしまいます。
事故後、自社チームの全車両をリタイアさせ、レースから撤退します。
その年末にはサーキットレースから完全撤退したのです。(ラリーは支援する形で続けていた。)
Unknown photographer / Public domain
企業としての復活
終戦後は、レースと並行して得た技術を使い、乗用車の開発も盛んに行われます。
例のレース事故から年月が経ち、1960年代には有名な300SLやEクラス、Cクラスの前身となる車両の開発などでヒット車を生み出しはじめます。
この時にはマイバッハも吸収して、高級車としての存在感がかなり高まった時代でもあります。
Norbert Aepli, Switzerland / CC BY
安全性への追及
当時の車には安全技術という考え方すら無かった時代に、事故調査チームを作り、安全性能の開発部門を作りました。
エアバッグの実用化、衝撃吸収ボディーや横滑り防止装置など数々の安全技術を世に送り出したのも、レース事故からの苦い経験があったからこそなのかもしれません。
メルセデスAMG
AMGといえば、スポーツスペック専門のメルセデス ベンツのサブブランドですが、1999年まではレーシングカーのエンジンなどを手掛けるチューン会社でした。
そこから吸収合併され今にいたりますがAMG創設者たちは元々ダイムラー・ベンツ時代のエンジニアで後に独立していました。
また、『アーマーゲー』と言う愛称もよく使われていますが、これは人気漫画「シャコタン☆ブギ」の作中に出てくるAMG560SECの事をアーマーゲーと呼んでいた事から広まった説が有力。
正しくは英語読みで『エーエムジー』本国ドイツ語で『アーエムゲー』となります。
今でいえば、アウディのRS、BMWのMシリーズのように固めの足回りに強化ブレーキ、高強度ボディー、ハイパフォーマンスエンジンなどスポーツスペック専門のグレードですがこのAMGの歴史も振り返ってみましょう。
AMGは2人のエンジニアから始まった
1964年ダイムラー・ベンツは、ツーリングカー選手権への不参戦を決定。
エンジニアの『アウフレヒト』『メルヒャー』の2人はそれでもレース界での可能性を信じ、『グローザスバッハ』にあるアウフレヒトの家で不要になったメルセデスレースカーを購入し、ひっそりと開発を続けていました。
上記2人のエンジニアの頭文字と開発をしていた土地の頭文字を合わせてると、『A・M・G』となるわけです。
翌年、そんな彼らが再開発した300SEはドイツツーリングカーチャンピオンシップで優勝10回するとんでもない記録を作ったのです。
その後もAMGの偉業はとまらない!!
その後もAMG社は、重量のある高級車が軽量のレーシングカーと戦いクラス1位になった『AMG Mercedes 300 SEL 6.8』
Jakub “flyz1” Maciejewski, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
最高速度300キロ超のセダン『AMG 300 E 5.6』
(写真はクーペタイプの300CE)
Mr.choppers, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
などまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで名車が誕生していきます。
1990年にはダイムラー・ベンツと協力協定を結びベンツディーラーでAMGチューンのメルセデスを世界で購入可能に。
AMGのロゴの意味
Falcon® Photography from France, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
文字左の5本線はタイヤ痕を表しています。
最近は『AMGライン』や『AMGパッケージ』など外装のAMG仕様モデルも多く展開されていますが、純AMGはエンジン上部や車内ロゴなどに以下のロゴが付いている事があります。
Thilo Parg, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
左の水の上にリンゴの木は本社のあるアファルターバッハの街の紋章。
右はエンジンを象徴し、カムとバルブを表しています。
念願のレース界への復帰!?
1980年代、約30年ぶりのサーキットレース界へ復帰。
過去の栄光を取り戻すかと思われましたが、それも長くは続きませんでした。
80年代後半には総合優勝を勝ち取りましたが、90年代後半に事件がおこります。
予選、フリー走行、決勝レースにて優勝候補であった新型メルセデス ベンツCLRが期間中に3度も横転事故をおこしてしまいます。
今回は犠牲者は出なかったのは幸いでした。
CLR
Marc Oliver John from Wachtberg, Deutschland / CC BY
このときにも全車をリタイアさせ、その後レース界から姿を消します。
以降はマクラーレンなどにエンジン供給はしていたものの、しばらくレースの本格参入はしていませんでした。
現在は復帰を果たし、2019年も順調に優勝を積み重ねています!
Artes Max from Spain / CC BY-SA
再び栄光を手に入れる事ができるのか!?
今後も目が離せません。
現代に至るまで
MB Financial Services / CC BY-SA
1990年代には激しいグローバル競争の末に、これまでの車作りとは真逆の方向に向かってしまいます。
極端なコストカット、利益率を重視した車を量産してブランドイメージを激しく損なう結果を生み出しました。
日本国内では『外車はよく壊れる』のイメージが完全に定着してしまい、現代でもこのイメージが抜けきらない人は多数いるのが現状です。
その後2000年代以降は徹底した品質管理を行い2010年代には、かつてのメルセデス・ベンツのように揺るぎない品質と先進技術、安全性能で世界からの信頼を取り戻しました。
Robert Basic from Germany / CC BY-SA
現在では妥協しない車作りで『最善か無か』のスローガンが有名ですがコストカット以前もこのスローガンをあげていたのです!!
結果的にはコストをかけるので年々高価格化になっている感は否めませんが外車の王様にはあるべき姿なのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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