フランスというと、日本人はそれだけで憧れてしまう部分もあるのではないでしょうか?
やはりフランスならではの製品やセンスといったものは確実に存在するものです。
フランスで有名な車メーカーと言えば、やはり「プジョー」です。
世界最古の量産自動車メーカーとしても知られています。ただ、その歴史について知っているという方はあまりいないかもしれませんね。
ここでは、改めてフランスの車メーカー「プジョー」の歴史についてご紹介していきたいと思います。
目次
・もともとプジョー家は農家
プジョーの歴史は、15世紀までさかのぼることになります。
名前からして昔からフランス貴族か何かだったのではないかと思ってしまいがちなのですが、実はもともとプジョー家というのは農家だったようです。
意外ですよね。ただ、その中でも職人や軍人、職工などを輩出していたと言われています。
地方の公職にも就いていたようで、16世紀から17世紀にかけてはジュアン・プジョーやその子ども、孫までヴァンドンクールの町長を務めていたそうです。
それまで工業とは深いかかわりのなかったプジョー家ですが、1734年生まれのジャン=ピエール・プジョーがプジョー家を工業へと導いたと言われています。
父親の製粉業を継がずに、織物業をはじめ、独自の手段で工業化に取り組んでいったのです。
その後、染物工場や搾油機、穀物製粉機を遺産として残したのですから、本当にすごい行動力ですよね。
1810年にはその息子であるジャン=ピエール二世とジャン=フレデリック、そしてジャピー家の義理の息子によって、プジョー兄弟とジャック・マイヤール・サランの会社を意味する「Peugeot Frères Aînés et Jacques Maillard-Salins」が創立されます。
製粉工場が製鋼所に変わり、これをきっかけにプジョー家は工業の時代に突入することとなりました。
・工業の時代に突入し、ライオンマークも
Peugeot Frères Aînés et Jacques Maillard-Salinsは、1824年にプジョー兄弟の会社を意味する「Peugeot Frères et Compagnie」へと社名を変更します。
さらにその翌年の1825年にはプジョー兄弟の長男カラムとジャック・マイヤール・サランの会社を意味する「Peugeot Frères Aînés, Calame et Jacques Maillard-Salins.」へと社名が変更され、1832年にはプジョー長男等の会社を意味する「Peugeot Frères Aînés」が設立されることとなりました。
工業の時代に突入し、プジョー家の事業は順調に発展を遂げていきます。製品ラインナップも多様化し、あの有名なライオンマークが刻印された工具も世に出ることとなります。
1850年には初めてライオンブランド名を冠した製品が登場し、その後、1858年にライオンマークが商標登録されました。
1851年にはジャン=ピエール二世の息子、ジュールとエミールの二人が、甥のルイ・ファロと一緒にヴァランティニェにプジョー兄弟会社を意味する「Société Peugeot Frères」を設立しました。
事業の多様化もどんどん進んでいきました。ものすごい勢いですよね。
・プジョーの名を冠した初めての自動車が誕生
自動車の登場をまだかまだかと待ち望んでいる方も多いでしょうが、1889年になってようやくプジョーの名を冠した初めての自動車が誕生することとなります。
蒸気三輪車セルポレ・プジョーというものなのですが、これはレオン・セルポレと共に開発されたものです。
1890年にはアルマン・プジョーがガソリンエンジンにダイムラー製エンジンを搭載したプジョー・ブランドで初めてのガソリン四輪自動車Type 2を製造しました。
その翌年の1891年には、Société Peugeot Frèresをプジョー兄弟の息子達の会社を意味する「Les Fils de Peugeot Frères」へと変更します。
プジョーは社名の変更がかなり多いのですが、こういったところも面白いところですよね。
その後もアルマン・プジョーは、どんどんとラインナップを拡大していきます。
・オートモビル・プジョー社の誕生
1896年にアルマン・プジョーは乗用車とトラックの生産に特化したオートモビル・プジョー社を意味する「Automobiles Peugeot」を設立しました。
一方で、アルマンの従兄弟ウジェーヌの息子たちは、工具や自転車、オートバイの生産を受け持つプジョー兄弟の息子たちの会社を意味する「Les Fils de Peugeot Frères」を設立しました。
その後、アルマン・プジョーは自動車工場を建設し、ラインナップも一新しました。
1898年の7月には、プジョーは第一回パリ・モーターショーに出展することとなります。
1900年には、プジョーの自動車生産台数が年間500台にまで達しました。
1889年からの累積で1,296台を達成し、どんどん勢いをつけていきます。
その後も、1904年から第一次世界大戦まで、アルマン・プジョーは毎年ラインナップを更新しました。
アルマン・プジョーがこのように革新的な自動車の開発に取り組む一方で、Les Fils de Peugeot Frèresはあくまでも大衆的な小型車に特化していきました。
1908年にはAutomobiles PeugeotとLes Fils de Peugeot Frèresで合わせて2,220台もの自動車を生産しています。
・オートモビル・サイクル・プジョー社の設立
これまでプジョーの会社がふたつあるような状態でもどかしい思いをしていた方も多いでしょうが、ここにきてようやく会社が統合します。
Société Automobiles PeugeotとLes Fils de Peugeot Frèresが統合して、オートモビル・サイクル・プジョー社を意味する「Société Anonyme des Automobiles et Cycles Peugeot」が設立されることとなります。
社長はロベール・プジョーで、第一次世界大戦が始まるまでは自動車と自転車が併行して生産されました。
ロベール・プジョー
工場の建設着工などもあり、1911年から1913年の間に、生産スピードはなんと3倍にまでアップしました。
プジョーはフランス国内生産台数の50%を占め、国内販売台数の20%に相当するようなレベルまで達しました。
ただ、残念なことに1915年には自動車部門創業者であるアルマン・プジョーが他界してしまいます。
しかしながら、その後もプジョーの勢いは衰えませんでした。第一次世界大戦中もプジョーの各工場はフランスの戦時体制に協力し、その後、フランスで最初の企業新聞「Bulletin des Usines」も刊行されました。
・プジョーがまた二社に
せっかく統合したSociété Anonyme des Automobiles et Cycles Peugeot なのですが、1926年にはオートモビル・プジョー社を意味する「Automobiles Peugeot」とサイクル・プジョー社を意味する「Cycles Peugeot」にわかれてしまいます。
ただ、パリ・モーターショーで「明るい光」を意味するLumineuseボディを出展し、このモデルがサンルーフの先駆けとなり、それ以降のプジョーの特徴的なボディタイプとなっていきます。
1928年にはジャン=ピエール・プジョーの方針で、ソショー・モンベリアール工場で集中生産がスタートします。
ディーゼルエンジンを搭載した初めてのプジョーが登場したのもこの頃ですね。
その翌年の1929年には「201」と名付けられた6馬力モデルがデビューするのですが、ご存知のように真ん中に0を入れた3桁数字のネーミングというのはプジョーの伝統です。
のちに、ポルシェが車名を901から市販時に911に変えたのは、プジョーからの申し立てによる事は有名ですね。
それほどプジョーには会社としての力がありました。
伝統が生まれた瞬間のこの201は大ヒットを収めます。
・プジョーに立ちはだかる経済恐慌
もちろん、大変なこともあったでしょうが、それまでのプジョーは順調でした。
しかしながら、そのプジョーにも経済恐慌が立ちはだかります。
さすがのプジョーも経済恐慌の中で、順調に……というわけにはいかなかったようです。
「301」が発売された1932年は経済恐慌の影響でプジョーにとっても厳しい年になったのですが、その前に発売されていた「201」のこともあり、翌年の1933年には回復していきます。恐るべき底力ですね。
その後、最初のプジョー電動工具や「601」の発表、「401」の発表などを経て、1938年には年間生産台数が50,000台に達します。
この頃には、フランス国内における総生産台数の4分の1を占めるようになりました。1948年には「203」が発表され、プジョーが初めて生産台数50万台を超えたモデルとなっています。
・プジョーS.Aになり現在に至る
1960年代にはオートモビル・プジョー社は持ち株会社となり、プジョーS.A.の名のもとにグループ傘下のすべての企業運営を管理するようになりました。
その後、1976年にはプジョーがシトロエン社を吸収し、持ち株会社としてPSAプジョー・シトロエンが誕生しました。
さらに1979年にはクライスラー UKを傘下に収め、フランス最大の自動車メーカーとなりました。その後も新たなチャレンジと躍進を続け、乗用車や商用車、スクーター、自転車といった幅広いラインナップを誇るグローバルモビリティ企業としてのプジョーが作り上げられたのです。
独創的でオシャレなプジョーの今後も目が離せません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
A.BourgeoisP, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
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